
詩人であり、美術にも造詣の深いヤリタミサコさん(空知の朝日炭鉱のご出身)から、『炭山の光』についてエッセイ風のレビューを寄せていただきましたので、ご紹介させていただきたいと思います。
※ヤリタさんは、はるばる東京から展示を見に来てくださいました。
(菊地)
炭山の光 - LIGHT of coal mine - 展の空間は
夏でもひんやりと冷たい石の建物に足を踏み入れると、闇の中に何かが柔らかに、すっと近寄って来た感じ。
初めての驚きとか、警戒するような境目とかはない。どこかで見たことのあるようなないような、きっとない
んだろうけど、でも見たことがある気がする。
優しい光の通路が縦横にめぐっているのだ。外部なのになぜか自分の内部のよう。胎内感覚に近いのかなあ。
よく見ると直線の光の流れなのだけど、曲線のような印象。ぼわーっとしていて、この光の通路を辿って行け
ば、記憶以前の記憶にたどり着くかもしれない。
三段登る小さな階段がある。おそるおそる登る。そして見えるものは、と言えば、見えないものが見えている
気がした。山の斜面に張り付いて建っている小さな家たちの明かりが無数に。抽象化された立体作品だから、
具象的なものは描写されていない。それが逆に、その明かりひとつひとつの個別の生活や、この町全体の暮ら
し、ということを想像させる。見れば見るほど飽きない。いや、見れば見るほど、そこに配置された具体的事
物を見なくなり、表現された空間を楽しんでいる。でも階段の上だから、もう降りなくてはならない。名残惜
しいような気がするが、現実に戻らなくちゃ。
階段を降りて頭を現実に戻すと、心に残像が残る。俯瞰した町の明かりと暖かさ。それが坑道を模した光の
通路の上に、見えない形で存在している。うーん、やられたなあ。光のアートというと、もっと強烈か光以外
に主体があるか、どちらかが普通だ。このような見えないものを照らし出す光のアートは初めての体験だ。
このアートを見る前日に、私は「十勝千年の森」にある、ヨーコ・オノの作品を体験してきた。古い農家の
室内に、空を映しだすテレビモニターと、呪文のようなコトバによるインストラクション、そして庭には「雲
の曲」という不思議な穴。この3つを肺いっぱいに吸い込むと、私は急速に地球のヘソの中に入り込んでしま
った。不思議の国のアリスのように、時間空間の枠組みが突然消えてしまったような。理性が無重力状態にな
っている。タイムトリップしている。浮遊感を楽しみつつ、説明係の人の声を聞いて、ようやく十勝の現実の
土の上に戻った。
そして、翌日は「炭山の光」。階段を登って見る仕組みでは、見た人一人一人が個別に見る空間は他人と共
有しないし、それぞれが自分の何かを投影した空間を見ている。瞬時に空間軸を変更されたために見えてくる、
見えない何か。多くの観客は、懐かしさや温かさを感じる。でもそれ以上の何か。黒い空間と小さな光のはず
なのに、もっといろいろなものが見えたような記憶が残る。
結果としては、時間軸と空間軸が見る人それぞれによって恣意的に変化しているのではないか。遠近や大小
のスケールが揺らぐ空間で、過去現在未来がすべてここにあるように感じる。
タイトルから見ると炭鉱の坑道と炭鉱町を抽象化した作品なのだろうが、それ以上により抽象化されたもの
が立ち上がっている。光によって心理的な揺らぎが生まれ、そこから感覚や記憶が呼び起され、作品を見てい
るうちに、表現されている作品の時間的空間的奥行きが身近に感じられてくる。坑道の明かりが、夜の空が、
どこまでいつまで続いているかは、見る人それぞれの感覚次第。小さくて無限な空間だった。
ヤリタミサコ